不満の塊と化したシニアとキャリア自律について

今日は、不満の塊と化したシニアが、自分自身で「キャリア自律」という考え方に気づき、自分の生きる道を見つけるという話をいたします。

ある企業からの悲痛な相談

コロナによる緊急事態宣言が発出される1ヶ月ほど前、ある大手企業の子会社の人事ご担当の方からこんな相談を受けました。

「シニア社員が老害化して、若い世代がやる気をなくしている。研修でなんとかならないでしょうか?」

お話を伺うとこんなことでした。

その企業では、役職定年制度を敷いていて、55歳の誕生日を持って管理職は役職を解かれ一般職になります。

  • 管理職ミーティングに呼ばれることはなくなります。
  • 情報も入って来なくなります。
  • かつての部下が上司になることもあります。
  • 役職手当はなくなり、給料もダウン。
  • さらには、子会社への出向、転籍。

こうなることは分かっていたけれども、いざ自分がそうなると悲憤が湧き出てくる人もいます。

さて、その子会社への出向、転籍ですが、大手企業の子会社ですから、規模もそこそこ大きいです。子会社に転籍してからは再び管理職的なポジションにつきますが、給与も含めた待遇は、古巣の大手企業に比べたら見劣りします。また、仕事のほとんどは部下がやってくれますので、ヒマ。

で、何をするかというと部下を呼びつけて、気が済むまで、自分の若い頃の武勇伝を延々と披露したり、部下の仕事にネチネチと介入したり。

たまらなくなった部下たちが人事に駆け込んで問題となり、ついには、私のところに「なんとかならないでしょうか?」と来たわけです。

不満でいっぱいのシニアたち

私は、キャリアコンサルタントとしてこれまで多くの働くシニアと話をしてきました。

  • 役職定年後の現実に驚き会社に対して凄まじい怒りの気持ちを持っている人
  • 定年後再雇用されたけれども仕事らしい仕事が無い毎日に苦痛を感じている人
  • 東証一部上場企業で管理職だったのに定年退職後、再就職で60連敗して愕然としている人

多くの皆さんは、現役の時は、まさに企業戦士として身を粉にして働いてきた人たちです。

会社を信じてキャリアを無条件に預けてきた人だと言ってもいいでしょう。

そうした人たちが、ある日、企業でのキャリアに終わりに現れた現実が、思い描いていたものと異なる受け入れ難いものであれば

「自分のキャリアってなんだったんだろう?これからどうした良いのだろうか?」

と愕然とします。それはやがて不満となり日々の振る舞いにも影響し、不幸にも「老害」と呼ばれたりするわけです。

私の話:不満でいっぱいだったリストラ前の私

私は今年58歳です。私も56歳までサラリーマンだったこともあり、自分の経験からシニアの気持ちはそれなりに理解しているつもりです。

55歳の時にリストラされましたが、リストラされるまでの10年ほど、何をどうしていいのか生き方の方向性を失っていました。

肩書こそ部長でしたがその肩書に甘んじた努力をしない毎日を送り、30代、40代との頑張りという名の預金残高はみるみるうちに減ってしまいました。残ったのはプライドだけ。そのプライドが「統括部長に昇進して当然」と変な自信を与えていました。

年1回、社内で昇進昇格の発表があるたびに、「なぜあいつなんだ?」いう焦りと怒りがを感じ、不満でいっぱいの10年でした。

私はなぜそんなシニアになったのか?

キャリアコンサルタントになった今、自分の人生を振り返ると、私のキャリアの出発点に「そんなシニアになる路線を選んだ」原点があったことがわかります。

私の話:会社に入るや、自分のキャリアを会社に預けてしまった私

私が大学を卒業したのは1986年でした。当時私の頭の中にはキャリアプランもキャリアゴールもなく、就職した会社の先輩たちを見て、これくらいの年齢で主任、これくらいの年齢で課長、これくらいの年齢で取締役という漠然としたスゴロクのような「人生ゲーム」が見えていました。でもそれが自分がやりたいものなのか、そうでないのかもよくわかりませんでした。

ただ、最初の会社には違和感を感じたこともあり、2年ほどで外資系メーカーに転職しました。そこでの仕事は自由で伸び伸びとした社風でとても楽しく、この会社にずっといて、定年退職後は退職金と年金で悠々自適?くらいのぼんやりしたキャリアプランを持っていました。

しかし、その後バブル崩壊、会社も買収され、私も別の会社に転職し、2年後にまた戻ってきたり、アメリカ本社の体制も別会社と言っていいくらいかわり、自由で伸び伸びとした社風だったその会社も、業績が悪いと躊躇せずリストラを行う会社に変貌しました。

それでも40代半ばまで楽しく仕事もできていましたし、自分の成長を感じていました。しかし40代に入り課長、部長代理と役職が上がり、部長になった時に私は自分のキャリアゴールを達成したような気持ちになりました。その瞬間、それからのキャリアイメージが枯渇してしまったことに気がつきました。キャリアイメージが枯渇した私にとって会社はもはや安住の地ではなく、リストラに怯える毎日となりました。

今リストラされたら、私は何で食べていけるんだろうか? 情報システムの世界に長くいましたが、後半は管理職として予算管理、人のマネージメントなどなどで、情報システムの専門性はとっくに何処かに行っていたし、そもそもインターネットが支配する情報システムの世界では、私の知識やスキルはすっかり時代遅れのものになっていたのです。

何もできないという残酷な現実。

自分のキャリアプランを会社に丸投げで預けてしまったツケが回ってきたと言える状態だったのです。

それはキャリア自律ということ

54歳をすぎた時に、ただリストラの恐怖に怯えるのはやめ、知人からの紹介でキャリアコンサルタントになることを決めました。キャリアコンサルタントの国家資格を取得してからキャリアについて考え始めました。

リストラされ、1年後自分の会社を立ち上げ、様々なご縁で知り合った人たちから多くのことを学び、また自分自身で身銭を切って様々な資格を取りました。サラリーマン時代全く読書しませんでしたが、独立してから今日までに250冊の本を読んできました。

サラリーマンを辞めると同時に、会社に丸投げで預けていた「自分のキャリア」が自分のところに帰ってきます。生きていただければ、自分の働き方、生き方(キャリア)は自分で考え、決めるしかない。

自分のキャリアを取り戻して、ようやく私はキャリア自律を実現することができました。

キャリア自律は会社を辞めることではない、独立する事でもない

サラリーマンをやめてキャリア自律を取り戻した私の話をしましたが、皆さんに会社を辞めるよう、独立するようそそのかしているわけではありません。これは私がもっとも説明しやすい自分の話だったからです。

ご自分のキャリアの自律を考えるにあたって次のことを軸に考えると良いと思います。

定年退職までの時間のと言う限られたタイムフレームの中だけを考えない。自分の残りの人生をどう生きたいかを明確にする。
自分の残り時間の中で、自分は何をしたいのか?そもそもどんな人間でありたいのかを考えることです。

これは間違いなく、キャリア自律への第一歩です。

キャリアデザインからキャリアプランへ

シニアになって、これからどう生きて行きたいか考えることはキャリアデザインそのものです。

そして、キャリアデザインの結果明らかになってきた「なりたい」「やりたい」に対して、いつまで、どうやってやるか?を決めていくとキャリアプランになります。

決めたプランに対して、実行していく生き方は、まさに自分のキャリアに対して自律の効いた生きたかであると言えます。

キャリア自律ができているシニアは、自分の人生を受容しているので、不満ははるかに少ないのです。

キャリアシフトチェンジ研修の勧め

さて、理屈はわかったけれども、もう少し詳しく学びたいという方へ朗報です。

中央職業能力開発協会という厚生労働省所管の団体が開発した「キャリアシフトチェンジ研修」という研修プログラムがあります。

この研修は、シニアにキャリア自律を促す研修となっております。

定年という大きなマイルストーンを迎え、新たな段階の生き方、働き方が求められるシニアが、そこをうまく迎えることができるために必要なプラットフォーム能力について学び、どう自分の中で育てていくかは、キャリアの自律を自分の中に育てることそのものです。

私は公認インストラクターとしてこれまで何度かキャリアシフトチェンジ研修を実施してまいりました。

対象年齢は、40代後半から50代半ばまでですが、対象年齢層をあまり離れ過ぎなければ実施可能です。
また対象人数は16名から24名を理想的としていますが、ある程度は調整が可能です。

キャリアシフトチェンジ研修、またキャリア自律についてのご相談は、お問い合せフォームから東(あずま)宛にお気軽にぜひどうぞ!

この記事を書いたキャリアコンサルタント

東 公成
東 公成
外資系企業の情報システム部門勤務35年の経験を踏まえて、人と企業の共生の実現、中でもシニア人材の活用と活躍について支援をいたします。御社のビジョンや方針をしっかりとお聞きした上で、研修の提供、面談を通して、人材の活性化に貢献いたします。またアンガーマネジメント公認トレーナーの資格を生かし様々な場面での「怒りの問題」の解決も得意としております。

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